『偉大なる者を知る』
6巻あたりから、アニメとは似て非なる作品と強く思い始めたが、ここまでくると、アニメの限界というものを思い知った。面白さでも、本作はアニメの比ではないと思う。
登場する全ての人が成長し変化するのがこの作品の描く本領のようにも思える。数百年の時を経て神のように成熟したようなカムシンでさえ、15歳の優しいただの少女におそらくは数世紀振りの笑顔を見せるようなものも1つの成長と思う。
アニメでのヴィルヘルミナの悠二破壊の目的と、本作でのそれではあまりに違う。アニメではあくまで零時迷子のミステス破壊であるが、本作では殺害である。そして、殺害でなくては意味がない。ミステス破壊は建前である。
本巻では、ついにアラストールが悠二と笑い合う。個人的になんとも嬉しい。
そして、巻が進むにつれ、我々は偉大なる者の存在をますます強く認識するようになるのではないか?偉大なる者とは特別な者ではない。甘いものが大好きで、本人は隠しているつもりでも実に分かりやすく嫉妬するのは、可愛いといえば可愛いが、ちょっと間抜け。しかし、そんなことは単に去来し変化するものであるが、その奥には決して変わらない至高の存在がある。
高橋弥七郎・・・この変なネコを私は天才と認識する。
・・・と真面目に書いたが、悠二パパも登場し、吉田さんも超絶可愛ゆく、マージョリーがヴィルヘルミナの悪酔いに手を焼く本巻は文句無く面白い。